会期:2022年4月3日(日) ~ 5月8日(日) Open : 木~日 12:00~19:00 ※最終日は17:00まで 会場:OFS gallery (OUR FAVOURITE SHOP 内) トークイベント開催につき4/16(土)12:00〜14:30は店舗クローズとさせていただきます。 ご予約のお客様以外の会場への入場はできませんので、ご了承ください。 ※4/16(土)12時より会場にて公開トーク「日本の林業とデザイン」を行います。 詳細・お申し込み方法は→https://ofs.tokyo/makino-talkevent 牧野伊三夫展について KIGI / 渡邉良重 OFS galley にて、牧野伊三夫さんによる家具と絵画の展示を行います。 牧野さんは、画家でありながらアートディレクターとの繋がりが強く、仕事を目にする機会が多いので、昔から知っていました。 友人でもあるアートディレクターの井上庸子さんのサンアド時代の同僚で、牧野さんが手がけた絵を使ってデザインをされていたり、私の昔の同僚が牧野さんと仕事をしていたり、いつも気になる良い絵を描く人だなと常々思っていました。素朴な中に芯の強さがあり、表現方法も沢山お持ちですが、どれを見ても牧野さんの独特な感性が感じられます。 昨年の秋ころ、有山達也さんが装丁された牧野さんの画集を見る機会がありました。さらにいくつかの審査会で、アートディレクターの富田光浩さんデザインによる、牧野さんの絵をふんだんに使ったパッケージと冊子を見て、やはりとても魅力的で、さすがだなと改めて思いました。植原 (KIGI) も同様の感想をもっており、私たちのギャラリーで展覧会を是非やっていただけないだろうか、お願いしてみたいねということになりました。 今回、実現したことをとても嬉しく思います 。 ぐちゃぐちゃモンスターと林業のデザイン 牧野伊三夫 昨年の秋だったか、デザイナーの富田光浩君から、OFS galley で個展をやらないかという電話があった。富田君は東京アートディレクターズクラブの会員で、毎年ポスター広告やパッケージデザインなどを審査会に出品している。昨年は、僕が絵を描いた田園調布にあるフランス菓子店「サヴール」の包装紙など一連のパッケージデザインを出品した。残念ながら入賞はできなかったが、審査会場で審査員の渡邉さんがこの絵を絶賛してくださり、こういう話になったらしい。子供の落書きのような絵で、サヴール社内では、「ぐちゃぐちゃモンスター」と言う人もいる。 渡邉さんはドラフト時代の富田君の上司でもある。まだ僕が広告制作会社サン・アドでデザイナーをしていた二十代の頃、相米慎二監督の映画「夏の庭」のポスターで渡邉さんの絵を初めてみたときの感動は忘れられない。 さて、どんな展覧会にしようかと、自分の仕事を見回してみて、富田君とこの十年余り一緒にやってきた日本の林業に関わる仕事を発表してみることにした。折しも、僕らは昨年、大分県日田市で地元の林業を応援する仲間たちと「ヤブクグリ生活道具研究室」という家具などを作る会社を立ちあげたばかり。絵のほかに、それらも並べてみる。 富田君との出会いは、もう二十五年ほど前になるが、偶然にも僕らは同級生だった。お互いまだ三十歳になったばかりの頃。僕は、サン・アドを辞め、生活の目途もたたないまま、武蔵小金井の古いアパートの一室をアトリエにして、一日中油絵など描いて暮らしていた。富田君は、ドラフトでアートディレクターをしていた。 ある日、彼の部下の内藤昇君から、 「ドラフトの内藤ですが――」と電話がかかってきた。 「ドラフト?ビールかなんかの会社でしょうか」 恥ずかしながら、広告業界にいながら僕はこの有名なデザイン会社を知らなかったのだ。当然知っているだろうと思っていた内藤君は、ちょっとあせった様子で、丁寧に会社の説明をしてから用件を話した。そんなふうにモスバーガーのトレイマットに絵を描く仕事がはじまり、その後二年ほど続いた。僕は数カ月おきに電車で一時間ほどかけて当時渋谷にあったドラフトまでイラストを届けにいき、行くと三人で恵比寿の寿司屋や、もつ焼屋で飲むようになった。同じような会社で働いていた彼らとは、たとえば、ロットリングの試し書きで指が黒くなるとか、セーターの肘に写植の文字が知らずくっついているなどという、デザイナーにしかわからない話が通じ合った。あるいはまた、「宮田識のラコステ」とか、「葛西薫のウーロン茶」などと、互いのボスの仕事を自慢げに語り、裏話など披露しているうち自然と深酒になった。そして、いつしか仕事相手というよりも、ただの友だちになっていったと思う。 その後十年ほどたった頃、富田君にさそわれて高山の家具メーカー「飛驒産業」の広報誌を立ちあげることになり、取材や打ち合わせのたびに銭湯へ行ったり、酒場をはしごしたりするようになった。初めて高山へ行ったのは、東日本大震災のあった年で、恥ずかしながら僕はこのとき生まれて初めて、この国のために何か自分にできることをしたいと思っていた。富田君も同じ気持ちだったと思う。だから、利益をかえりみずに地元産の杉を利用し、植林をして山を守る活動をしていたこの会社は魅力的だった。そして僕らが林業に関わる仕事をするきっかけともなっていった。やがて林業への関心が高まった富田君と僕は、九州最大の林産地である大分県の日田市へ行ってみることにした。この町は、小倉で生まれ育った僕には懐かしい場所でもあった。そこで、思いもよらない妙ななりゆきから、地元の仲間たちと「ヤブクグリ」という地元の林業を応援する有志の団体を立ちあげることになった。応援といっても、町中を流れる川に横断幕をかかげた筏を浮かべたり、牛蒡を丸太に見立てた「きこりめし」という弁当を作ったり、あるいはまた会報誌を作ったり、地元民謡の演奏会を企画したり。ただ遊んでいたふうでもあり、果たして、どれほど林業のためになったか分からないが……。 昨年、この活動をもっとしっかりやろうという話になって、その資金づくりのために立ちあげたのが、「ヤブクグリ生活道具研究室」だ。 生活道具の研究というのは、本来人間の生活を豊かにするはずのモノが、最近 、生活から分離しているように感じられるので、もう一度暮らしの原点に立ち返って考えようという試みだ。どうも大事な何かが、ないがしろにされているような気がしてならないのだ。大量生産やマーケティング、余計な便利さ、過剰な親切などとは無縁の、現在の経済原則に従ってはできなかった、生活のなかで本当に欲しいと思う実直なものとはなんだろう。まずは日田の山林所有者、材木市場、製材所、家具工房と協力して、お風呂のフタと椅子を三つ作ってみた。 この展示は、ヤブクグリ生活道具研究室が最初に製品発表する場となる。果たしてこの先どうなるのか、いまは、まったくわからないが、山や木のことを思い浮かべてスケッチをしたり、絵を描いたりすることは愉快で、当分やめられそうにない。絵描きは、どこまで林業家と交わることができるだろうか。 牧野伊三夫(まきのいさお) 画家。1964年北九州市生まれ。多摩美術大学卒業後、広告制作会社サン・アド入社。92年、退社後、画家としての活動を始め、月光荘画材店、HBギャラリーなどで作品を発表する。1999年、美術同人誌「四月と十月」を創刊 。近年は、北九州文学サロン陶板壁画、フランス菓子店「サヴール」(東京)、箱崎縞アンテナショップ「はこしま」(福岡)のロゴやパッケージ画など手がける。著書に、『僕は、太陽をのむ』『仕事場訪問』(いずれも港の人「四月と十月文庫」)、『かぼちゃを塩で煮る』(幻冬舎文庫)、『画家のむだ歩き』(中央公論新社)、『牧野伊三夫イラストレーションの仕事と体験記1987~2019椰子の木とウィスキー、郷愁』(誠文堂新光社)、『アトリエ雑記』(本の雑誌社)、絵本『十円玉の話』(あかね書房)など。「雲のうえ」(北九州市情報誌)、「飛驒」(飛驒産業広報誌)編集委員。東京都在住。